令和8年度古事記学会大会を下記の日程で、対面とオンライン併用によるハイブリッド開催いたします。会員の皆様の御参加をお待ちしております。
期日
令和8年6月20日(土)~22日(月)
会場
奈良大学(〒631-8502 奈良市山陵町1500)
- 近鉄京都線「高の原」駅より徒歩約18分
- バス近鉄京都線「高の原」駅より、奈良公通バス「奈良大学構内」行き、または「学園駅行」で約8分 会期中は臨時バスを増便予定
日程
6月20日(土)
理事会(11:00~12:00)大会議室
公開講演会(13:00~16:15)講堂
総合司会
フェリス女学院大学教授 松田 浩
代表理事挨拶
代表理事 神田 典城
大会校挨拶
奈良大学学長 今津 節生
書は言辞ぞ―日本書紀区分論と記紀の交渉―
京都産業大学名誉教授 森 博達
記紀、国譲り、叙事詩、そして稗史
千葉大学名誉教授 三浦 佑之
総会(16:30~17:30)
6月21日(日)
研究発表会 C三〇二教室
総合司会
宮崎県立看護大学教授 大館 真晴
午前の部(10:00~)
西田長男の「神の苦しみ」をめぐって
東京都特別職公務員 炭谷 拓美
(司会)國學院大學准教授 渡邉 卓
『古事記年報』の創刊から編修同人となり、代表理事を務め、理事のまま昭和56年に逝去した西田長男。西田の古事記研究は大きく分けて二つの方法による業績を遺した。『日本古典の史的研究』に代表される、記紀・風土記等を文献考証的方法で以て歴史的信憑性を究めようとする研究、もう一つは『日本宗教思想史の研究』『古代文学の周辺』に見られる思想的文学的な論理で日本宗教の普遍性を説いた研究である。文献考証面の研究では西田が用いた典籍の多くが西田自身の架蔵であり、実見なくば反証が難しいという指摘があった。その架蔵資料が令和3年遺族から國學院大に寄贈され現在調査が行われている。文献考証面での検証は今後進むであろう。昭和30年代刊行の『古事記大成』に西田が寄稿したのは文献考証的なものでなく(神話民俗篇)に収載された「古代人の神ー神道より見たー」という思想的文学的な論文であった。記紀でのスサノヲが天津罪を犯して贖いを科されて天上を追われたという記述から、人間が犯すであろう罪をスサノヲが代わって犯し、その贖いも人間に代わってスサノヲが背負われたという解釈で、神の代贖で人間は原罪を赦されたと述べ、これが「神の苦しみ」であり諸宗教に普遍的に見られる根本観念であると西田は説いた。「神の苦しみ」の初見は戦時下の著作に見られ、その救済観念の発露に影響を与えたのは、大倉精神文化研究所で同僚だった秋山大と國學院大神道部在学時の恩師の一人折口信夫である。西田が「神の苦しみ」に副えたもう一つの救済観念に古事記・宣命・祝詞等に拠った「みこともちーよさし」論がある。この理論については西田逝去から36年を経た平成29年塩川哲朗氏の論文で漸く分析がなされたが、一方の「神の苦しみ」の検証は残された。研究発表では西田の贖罪の神論の形成過程を検証するとともに「神の苦しみ」の発想から、神道史学者として著名な西田ではあるが、西田独自の理念で以て「神道文学」の開拓を模索していたことも併せて述べたい。
日本書紀の類義字から見た書紀区分論について
上智大学文学研究科特別研究員 李 明月
(司会)日本女子大学准教授 岩田 芳子
森博達氏は『古代の音韻と日本書紀の成立』(大修館書店・一九九一年)において歌謡や訓注に使用されている仮名から『日本書紀』をα群とβ群の二群に区分した。この区分について様々な討論がされており、まだ検討する余地が残されている。
拙稿「『日本書紀』における「与」字と「及」字において」(上智大学国文学論集五九・二〇二五)、二つの事項を連ねて並べる時に使用する「与」と「及」の使用状況を調査した。その結果、α群では「与」を多用し、β群では概ね「及」を多用する傾向があるが、β群の巻二十二・二十三・二十八・二十九では「及」が多用されるのに対し、巻一~十三では「与」字を多用する巻も混在していることがわかった。β群内部において異なる傾向を示していることが明らかとなった。
本研究はこの結果を踏まえ、同訓異字に限らず、語義も近接する類義字の使用を調査し、類義字の使用から書紀区分論を再考することを目的とする。
例えば、『日本書紀』において病気になることを表す時に「疾」と「病」などを使用するが、他の巻では両者共に用いるが、β群の巻二十二・二十三・二十八・二十九においては「病」のみが用いられる。この傾向は「与」と「及」の分布と重なることが注目される。
また、「つかい」を表す語(「使人」と「使者」など)の使用状況を見ると、β群の巻一~十三では「使者」が中心であるのに対し、巻二十二・二十三・二十八・二十九では「使人」が優勢となる。この点においても、β群内部では異なる傾向が見出される。
このように類義字の選択について、β群の内部では異なる傾向が見られる。本発表では、類義字の使用状況を調査し、従来のα・β区分を踏まえつつ、とりわけβ群内部の区分について検討を試みる。
『古事記』本文における仏典語/六朝~唐代俗語の使用と、その働き
―「沙本毗賣」伝承など、頻出箇所を中心に―
大阪大谷大学非常勤講師 岡田 高志
(司会)京都精華大学教授 是澤 範三
二〇二五年度古事記学会関西例会の口頭発表「古事記「本文」のことば」では、従来指摘される古事記本文内の仏典語の使用(小島憲之「古事記の歴史性と文學性」など)について、次のような見解を述べた。
古事記本文内の仏典語使用の分布を調べると、孤立して用いられた例は少なく、同一の説話内に複数種類の仏典語が重点的に用いられる傾向が見られる。
本発表では、この考察を更に発展させ、これらの仏典の語彙を使用する意義を究明することを目的とする。
仏典の語彙の使用が際立つ箇所の一つである「沙本毗賣命」の伝承に焦点を当てて検討したい。この箇所では垂仁天皇の后である沙本毗賣命の涙を「泣涙」の語で表す。「泣涙」は漢籍において「涙を流す」の意で用いられるのが通例であり、「流す涙」の例は稀少。一方で、漢訳仏典には「比丘心生悲悔、泣涙満目」(『釋迦譜』巻第五所引『雜阿含經』)、あるいは敦煌変文に「不覺放聲大哭、泣涙成行」(「秋胡變文」、ペリオ三六九七など)の例がある。どちらも悲しみが極まって流す涙の例であり、哀情に耐えられず沙本毗賣命が流した涙の表現に用いるにふさわしい。
また、天皇の見た夢に「錦色小蛇、纒繞我頸」とあるのも留意される。「蛇」が「纒繞」するとは、やはり漢籍に稀少で漢訳仏典に多い例だからである。「或執毒蛇而食。或以蛇纒頸」(『方廣大壮嚴經』巻第九)や「時有毒蛇、纒繞牛脚……蛇即捨牛殺夫」(『經律異相』巻第三十八所引『婦人遇辜經』/『賢愚經』)など、絶対絶命の情況を記すのに用いる。この表現を天皇の身に危険が迫る予兆に用いたのは、相応の狙いが汲まれる。
以上、古事記本文の仏典語は、哀しみの高まりや、命を脅かす危険など文脈を十全に考慮し、選択されたものと見られる。これらの語を配置して、文章全体に起伏をもたらす――、そのような述作者の作文の営みが見えてくるのではあるまいか。
午後の部(13:10~)
『日本書紀』武烈天皇条における君臣秩序―歌と散文との連環を通して―
目白大学専任講師 小野 諒巳
(司会)奈良県立万葉文化館企画・研究係長 井上さやか
『日本書紀』の武烈天皇条は『列女伝』の殷紂妲己条などをふまえた暴虐記事によって知られている。これらの記事は先学諸氏が指摘するように、悪帝武烈を経て聖帝継体が立つという革命的思想を背景に配されたと考えられる。そのような見方が通説化したためか、武烈紀に関する研究は革命的思想を下敷きとして悪帝武烈の造形を大前提とみる傾向が強い。それは、影媛を巡る鮪臣と太子(武烈)との歌応酬やその後の鮪臣葬送時の影媛詠歌の扱いについても同様で、たとえば新編全集の頭注で「影媛の哀傷歌により、かえって鮪臣に対して哀れを感じる。(中略)武烈天皇の激烈さがすでに現れている」と指摘され、『日本書紀歌全注釈』では歌応酬から鮪臣殺害までを「即位後に悪逆の限りを尽くす武烈天皇の人物造形の一端を担う話」と説かれる如くである。
しかしながら、これらの歌を含む歴史叙述が、武烈の苛烈な性質にのみ帰結するものであるかについては、再考の余地があるのではないだろうか。武烈即位前紀は平群臣の専横と誅罰が主軸であり、そのなかに影媛関連記事も位置づけられる。影媛を巡り太子と争う鮪臣の歌には「汝を編ましじみ」(紀90)をはじめとして太子への不敬が通底しており、鮪臣誅殺を機に詠出される影媛の歌も、太子への不敬によって死ぬこととなった夫・鮪臣への愛情と悲哀を吐露するのみである。それらの歌々に臣下としての忠節などは読み取りえない。全体を通して、太子が臣下に軽んじられる構成になっていると言えよう。つまり、武烈天皇の性質のみを問題とするのではなく、臣下の態度もまた当該条の問題として意識すべきと考えられるのである。
本発表では、歌表現を通して鮪臣と影媛の在り方を明確化するとともに、武烈紀における君臣関係の叙述が『日本書紀』の歴史にいかなる意義を有するのかを明らかにする。
『古事記』天孫降臨神話「此二柱神」の解釈
國學院大學教授 谷口 雅博
(司会)明治大学教授 伊藤 剣
『古事記』天孫降臨神話にみられる以下の文は解釈上多くの問題を抱えている。
詔者、此之鏡者、専為我御魂而、如拝吾前、伊都岐奉、次、思金神者、取持前事為政。此二柱神者、拝祭佐久々斯侶伊須受能宮。
右の「此二柱神」について、かつては「鏡」と「思金神」とを指すととる説が多かったが、「拝祭」が祭られる側ではなく、祭る側の行為として用いられる語であると指摘されて以降、二神を「迩迩芸命」と「思金神」とを指すとする見方が主流となっているようである。その見方は、「次」が発話文中には使用されないという指摘によって、天照大御神の「詔」の内容を「次」の前後で分け、前半を迩迩芸命、後半を思金神への詔とする理解とも関わっている。この場合、思金神の「為政」とは天照大御神の御魂である「鏡」の祭祀を意味するという理解となる。
しかし、「佐久々斯侶伊須受能宮」が中・下巻にも見られる「伊勢大神之宮」であるとするならば、日向に降臨する邇々芸命が「伊須受能宮」を「拝祭」するというのは不自然であるし、思金神の「政」の内容を祭祀ととる根拠も定かではない。「拝祭」の原則に従う場合は、突如として提示される「伊須受能宮」にいずれの神が祭られるのかも不明瞭となる。「拝祭」はここも含めて古事記中に四例みられる。他の三例の「拝祭」は確かに祭祀する側の行為を示すものであるが、大物主神祭祀を示す崇神記の例では、構文は異なるものの、「於御諸山拝祭意富美和之大神前」とあって「於〈場所〉拝祭〈神前〉」の形となっている。「伊須受能宮」を、神を祭る〈場所〉としてみるならば「伊須受能宮」に「拝祭」するという理解もあり得るのではないか(他の二例は皇女による伊勢大神宮「拝祭」記事)。
右のような観点から、本発表では「此二柱神」が「鏡」と「思金神」とを指すと結論付け、加えて該当本文の前後も含めて降臨神話の文脈を整理したい。
閉会の辞
皇學館大学特別教授 大島 信生
6月22日(月)
臨地研究(各自)※学会からは特に案内はいたしません。
参加申込
6月6日(土)までに、以下からお申込み下さい。
申し込みフォーム(https://forms.gle/tNrdnFRyvayeeGfWA)
別途、郵送される大会案内もご参照ください。
参加費などについては、当日に徴収します。